「たけし独立”愛人”との会社が新拠点」に発したビートたけしの独立騒動、事情をしらない素人には、自分が造った会社から独立するってどういうこと? まったく理解できない。けだし当然とも思うが、この問題は新しくて古い問題でもある。
タレントは売れてくると、まず仕事の内容について不満を持つようになる。俺はあんな仕事がしたいのに、マネージャはこんな仕事しかとってこない。不満だ。休みもとれずに仕事しているではないか。ギャラにしても、事務所はこんなにピンハネするのか。初めの頃は50%でいいとおもっていたが、取分を上げて欲しい。70パーセントいや80パーセントは俺に寄越せ、となる。事務所側は宣伝費、売り込み人件費、仕事先への接待交際費、スケジュール管理費、企画費、さらに事務所維持費と、これだけかかっているのだからギャラの半分は収めてもらわなければと、対立する。
タレントはいまこんなに売れている、と思い込み、事務所はいつ売れなくなるか、と心配する。
デビュー当時はヒロインでモテテ、モテテ争奪戦が繰り広げられていた。アッという間に飽きられて友人Bの役柄もこなくなる。気がついたら犯人役になり、母親役ならと世間の風はつめたい。舞台も演技が下手ではうれない。かろうじて田舎のイベントや宝石、きもののお見立会には声がかかっても、ストレス120%で恨むのは事務所ばかりの毎日である。通販専門のショップチャンネルをのぞいて見れば、そんな不満タレントが山ほどいて、生活のため媚びを売っている。
たけしの抜けたオフィス北野は圧倒的に中途半端が多い。このメンバーでは事務所は維持できない、一挙に20数人いたスタッフを4人に減らしてしまった。怒ったのは軍団だが、たけしも本音ではこの軍団を背負うよりオネェチャンを背負いたい。
芸能プロダクションの難しいのは、商品が喋ることだ、分をわきまえて精進するタレントもなかにはいるが、なかなかそうはいかない。
芸能のしごとは、柄と才能と時が微笑んでくれなければ、上手くいかないしごとなのだ。
たけし、たけしの会社から独立??
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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