オマケといえばグリコに決まっていた。
初めての大阪で心斎橋からグリコの電飾看板を仰ぎ見たときの感動は忘れられない。幼い時のグリコの思い出が次々と浮かび、不覚にも涙を流しながら電飾看板と対峙した。
オマケへの関心はすっかり薄れ忘れていたが、数年前突如雑誌の宝島が、本の中味ではなくオマケで売っているというニュースに接し、久しぶりにオマケの文化について考えさせられた。タカラジマでは、オマケの概念をこえたホンモノをつけて売っていた。
スタッフは雑誌の編集に携わりたくて入社したにもかかわらず、オマケのバックやスカーフの買付に苦労しているという記事が週刊誌を賑わせていた。
この度は「お酒のオマケに電池が付いてきた」という話だ。2リットルの月桂冠に「富士通アルカリ単三乾電池 日本製2本」ついてくるという話だ。お酒と乾電池とは意外な組合せで担当者は「日常生活であったら便利なもの、そしてお酒パックに貼りつけることできるコンパクトなもの、という観点から検討の結果乾電池になりました」
と、ここで事務所のスタッフから反論がはいった。「月桂冠の広報担当は時代をしらない。今時代は単三ではなく、単四の時代だ。家電用品もすべて小型化して使われる乾電池も小さくなり、乾電池の需要も単三から単四に移っている。月桂冠もせっかくの付録ならば単四日本製でなければならない」というのだ。
なるほど男はやっぱり世事に疎いとあっさり合点した。
月桂冠のオマケに電池がついてくる
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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