2011年に始まったGINZA FASHION WEEK もこの春で14回となった。当初は東日本大震災で銀座に閑古鳥がなくようになり、その危機感から銀座三越と松屋銀座が手を取り合って始めた企画だった。二回目には銀座通りをクローズしてGINZA RUNWAY を実現し大きな反響を呼んだこともあった。
やがて松屋と三越に和光が加わり、東急プラザ銀座とGINZA SIX が加わって一見パワーアップしたかに見える。
今春のテーマは「さくら」、時は春、桜咲く日本だし、春のピンクは高揚感もあり、世界に発信するギンザ・ファッションにふさわしい、というのだが、はたしてそれだけ起爆力のあるテーマだろうか、はなはだ疑問の残る処である。
50年前、銀座にショー・キャバレーやナイトクラブが全盛だった頃、春ともなればどこもかしこも桜桜桜、安っぽい桜の造花が入口までこぼれて飾られ、4丁目から8丁目まですべて桜だらけという時代があった。酔っぱらい達は喜んでオネェチャンの肩に手をまわして浮かれていたが、庶民の桜は靖国神社、半蔵門、隅田堤に上野の山と決まっていた。
銀座の桜は夜桜で、ちょっと助平なさくらだったのだ。
時代が回ってファッションが桜を気にするようになった。
三越は上質な日常を創造するとかで、桜にそって創りこむそうだし、松屋は全館ピンク一色でピンク×グラフィカル、和光は咲く和光スタイル、東急プラザはあなたが咲く春、ブルーミングデイズ、GINZA SIXはプレゼンターマインドのアピールとよく判らない。
婦人画報デザインの共通トート・バックとやらを買うと、どのデパートでもお菓子や小物をくれるというのだが、このトートバックのデザインの幼なさといったらない。総レースのワンピースを娘に買う程度の母親ならば喜ぶかもしれないが、まず今時の女性には無理な野暮なデザインである。デパートを回ってプレゼントをせしめた後は、ユニクロやGUにいって服をかって帰る、といった今時B層のためのイベントにならないよう祈るばかりだ。
GINZA FASHION WEEK のいま
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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