名残り雪もおちついたので、オゴッソに昼めしを食べに行った。
壁は渋くなり、環境テレビは掛花入れにかわって、ぐっとビストロ・ジャポニカ風になっていた。窓の外には社長の自宅から運ばれた石灯篭がおかれ、目隠しの竹屛で、景色は駐車場という殺伐さが消えていた。
帰りしな柳沢さんが、蕗味噌を下さった。さっき山で摘んだ蕗のとうをきざんで、味噌にあえた超新鮮な蕗味噌である。蕗味噌のうえにはまもなく花になる蕗の芽が添えられてある。大きな体の柳沢さんに似合わない繊細な心ずかいだ。
蕗のとうの苦さは春の苦さである。子供と毛唐には判らないと昔からいわれてきた。日本人のデリケートな舌に許された贅沢が春の山菜の苦さなのかもしれない。さっと天ぷらに揚げてチョンと塩をつけても絶品だ。
山菜と天ぷらの相性もとてもいい。タラの芽、ぜんまい、こしあぶら、わらび、根曲がり竹、など天ぷらにはどれも合う。
山菜の美味さを教えてくれたのは、50年程前の越中利賀村の春祭りだった。豪雪に閉ざされた利賀村に春が来るのは四月の末、いまは亡き水田ガイ氏さんに招かれ、村長さんの家に泊まった。その時のご馳走が山菜ずくしの祭り膳だった。
15,6種類の山菜がお浸し、胡麻和え、煮つけ、天婦羅などいろいろな調理で赤飯と共にお膳に並んだ。その時初めて畑の野菜の味気無さに気がついた。山菜の贅沢を覚えると、しばらくの間スーパーで売っている畑の野菜の虚しさに囚われた。
” 命がけ 熊と取りあう ふきのとう ”
今夜は山形のつや姫を炊いて、ほろ苦い甘みの蕗味噌で春を楽しもう。、
蕗のとうの苦さは春のときめき
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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