言葉遊びと江戸っ子

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言葉遊びと江戸っ子
 江戸っ子には昔から言葉で遊ぶという楽しみがあった。
 寄席の笑いも、お座敷での幇間の笑いも、みな色々な言葉遊びから成り立っていた。江戸っ子は互いにそうした笑いで暮らしの隙間をうめ、人生をたのしんでいたともいえる。言葉遊びは、洒落や粋を支えた江戸っ子の財産だった。
 SKDの昔からざっと30年いや40年かな、折に触れて便りのある生徒がいる。昔は生徒だったがいまでは立派な女性だ。いまだに情熱をうしなわず、歌ったり踊ったり、あるいはしゃべったりしている。「千景みつるさん」。SKDの本拠は浅草国際劇場だったが、生徒は日本全国から集まっていて、なかなかに生粋の江戸っ子はいなかった。彼女が江戸っ子なのか、否かは知らないが、まま彼女の送ってくれる便りのなかに「言葉遊び」がまぎれている。
 その生徒がなかなかの江戸っ子なのだ。歌ったり踊ったり、肉体がキャンパスの生徒だから、知能や言葉に興味をもつ生徒は珍らしかった。
「名月をとってくれろと泣く子かな アマゾンならば明日にはとどく(ジキジキ・きよし)」
     古今の名句もアマゾンに負けている。
「降る雪や明治は遠くなりにけり 昭和も遠くなっちゃいました(千景)」
     どこか生真面目な生徒がのこっいる。
「ああ母は平安美人のひな人形 お腹も三段かざりです(遠藤)」
「あー母は割烹着が似合っていた 姉さん被りもにあっていた(千景)」
     やっぱり生真面目な少女歌劇がみえる。
課題 三本の木をみつけよう。
「私の中にみつけました 元気 勇気 やる気(千景)」
「落語家に見つけました 人気 ごひいき 浮気(今井)」
「女性に見つけました 吐息 りんき うそ泣き(岡田)」
「韓国料理に見つけました カクテキ トッポキ ラポッキ(千景)
     やっぱりどこまでいっても真面目が財産の千景みつるさんなのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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