校服がアルマーニで何処が悪い!

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校服がアルマーニで何処が悪い
 アルマーニの制服(標準服)について、東京しらずの議員やら、田舎出身のジャーナリストが騒いでいる。公立校としてこんな高価なものは如何なものか、小学生に着せるものではない、とかまあ近頃のクレーマー族と同じだ。
 まず第一に東京における学校格差について、全く認識がない。銀座・泰明小学校を公立校だからといっているが、そこが先ず間違っている。泰明小学校は公立校だけれども、公立校ではない。現在では「特認校」といっているが、学区外からも入れる特別校なのだ。なにしろあの東京大空襲にも負けなかった22センチの鉄筋コンクリートに守られたエリート校である。中央区民は少人数教育の超有名名門校と認識している。ここを出て麻布中、日比谷高、東大と進むのが、親たちの夢である。
 泰明小学校の正門は「フランス門」と呼ばれ、そこをくぐって学校に通うのはとても晴れがましいことなのだ。
 東京には昔から「下町の学習院」などという言い方があった。江戸っ子にとって「学習院」というのは、高貴な、お上品な高級な、育ちがいい、といったスラングで、学習院そのものをさす言葉ではなかった。
 小学校も下町では泰明、久松それに明治あたりが、「下町の学習院」だった。山の手では、番町、麹町、そして筆者も通った誠之(セイシ)が「下町の学習院」と呼ばれていた。当時は名門私学よりも名門公立校のほうが人気があった。教育方針もそれぞれで、その学校の教育方針に従い、卒業まで通うことを誓ったうえで入学が許された。戦後机のうえの線引きで生まれた学校とは全く違う。
 誠之の名称も儒教の書から「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」と水戸藩主徳川斉昭が命名された。一高、東大への進学校で、公立でありながら都内有数の名門校であり、一年生から英語のある学力向上フロンティア・スクールだった。
 こう考えてくると、泰明小のアルマーニ採用はなんの不思議もないことに行きつかないだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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