稲荷ずしの人気衰えず

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稲荷ずしの人気衰えず
 まもなく2月11日初午稲荷の日がやってくる。
 恵方巻が済んだと思ったら、次は稲荷寿司の日だ。この国のアキンドはつぎつぎとこざかしい商売イベントを考える。それも一般社団法人全日本いなり寿司協会制定というなんとも有難い団体がお決めになった。
 すぐ後にはチョコレートの日が待ち構えているので、そのまえにいなり寿司を売らなければならないという涙ぐましい努力だ。
 個人的にはイナリ寿司は大好きなので、この稲荷寿司食べようデーは大好きではある。
 甘辛く煮た油揚げのなかに酢飯をつめたお稲荷さんは、日本人の味覚にとってごく自然に受け入れられる信仰食だ。稲の豊作を祈願し、商売繁盛の願いが達せられるとあれば、稲荷寿司を食べるに弊害はひとつもない。
 酢飯についてはいろいろがある。江戸末期のころはシイタケ、干瓢を刻みいれたのが主役のようだ。明治になってオカラや飯をいれ、ワサビ醤油をつけて食したという文献がある。のちに人参と椎茸に特化したというのが真相のようだ。
 津軽では紅生姜にクルミ、笠間稲荷では蕎麦にクルミ、西日本からきたのが、椎茸、人参、ごまといった王道のようである。
 六本木のおつな寿司は、明治8年創業ときくが、ここの稲荷はテレビ業界の人気者となっている。この店の稲荷は昔から裏返しの油げにゆず入りの酢めしが入っていた。裏番組を食うところから、テレビ業界の縁起担ぎにマッチして、スタジオの差し入れなどにさかんにつかわれるようになった。
 しのだ寿司という名前も稲荷業界に多い。歌舞伎の葛の葉から、「恋しくば たずねきてみよ 泉なる 信田の森の うらみ葛の葉」淡路町の志乃多も、人形町の志乃多も、浅草の志乃多も、みな繋がっている。
 歌舞伎座の楽屋で人気なのは、銀座白銀や(プラチナヤ)のひとくち稲荷だ。化粧をしながら衣装をつけたあとでも一口で気楽に食べられる。ゆず、焼き、宝珠、とりごぼうなど具の工夫も嬉しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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