万博止めたフランス

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万博止めたフランス
 「2025パリ万博やーめた」フランスのフィリップ首相が、2025年のサクレーに於ける万博開催のプロモーションは止めよう、と言い出した。そんなにイベントにばかり浮かれてどうするの、という新しい提案だ。すでに万博事務局に辞退願いが出されている。
 5年に一度大規模な開催をする万博は、2025年の万博に世界の四つの都市が立候補している。ロシアのウラル中核都市エカテリンブルグ、アゼルバイジャンの首都バクー、そしてパリ、日本の大阪という顔ぶれだ。今年11月の万国博覧会国際事務局総会で開催地の決定をする段取りになっている。
 フランスでは23年にラクビーのW杯、25年にはパリ五輪、そのうえ万博までいらないというのだ。そもそもこうしたイベントによる経済振興は来る所にまで来てしまった。毎回莫大な赤字をだし、政府補助金という名の国民の税金補助でなんとか名目をたもっている。
 瞬時にして情報が飛び交う今日、一か所に世界中から集まって情報競争をやる意味があるのか、そんへんのところを冷静に考えてみよう、というのだ。すでに万博という展示方式は過去のもので、21世紀のいま、もうすこし他の方法で芸術文化の展示方法を考えたほうがいいのではないか、ということのようだ。
 資本社会の勃興期には意味のあった万国博だが、資本そのもののいきずまった今、万博をやる意味がないのではないか、というのがフランス政府の考え方だ。
 大阪ではオリムピックを東京にもっていかれた腹いせに、なんとしても万博を大阪でと煮詰まっているようだが、いちど立ち止まってフランスの考え方を検証するのも意味ありと思うが如何。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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