人の縁でもつ毎日、と考えるのはよほど古いらしい。
人と関わりたくない。他人と付き合いたくない。という人々が圧倒的にふえている。生活半径をどう考えるかということから、その辺の意識は決まってくる。世間という単位も、社会という単位も、すべて個人のまえに雲散霧消し、自分はこう思う、自分はこう考える、すべては自分のためにという「ミーイズム」が登場して30年程もたつだろうか。
自分主義、自分勝手、自分第一の生存競争が世界を支配している。
「夫が無間地獄に落ちますように」「息子の嫁が一刻も早く出ていきますように」「娘が付き合っているヤクザの男と縁がきれますように」こんな物騒な絵馬がぎっしりと並んでいるのが、京都東山祇園の東にある「安井金毘羅宮」である。平安時代崇徳天皇があらゆる欲を断って讃岐の金毘羅宮に籠ったことから、「断ち物の祈祷所」として信仰を集め、全国から断ち物祈願の人々がたえない。
近頃では定年まじかの夫との縁をきりたいとか、夫の浮気相手を呪い殺したいとか、生々しい断ち物祈願が多くなったそうだ。
なかに「おばあちゃんの病気がいなくなりますように」などという愛らしい祈願をみるとホッとする。
わざわざ京都まででかけなくとも、日本全国にいくつかの縁切りスポットはある。
北関東足利の「門田稲荷」もそのひとつ、足利学校のおひざ元だけあって、学業不振との縁切りを願うまじめな祈願もある。
大阪の天王寺にある「鎌八幡」も有名だ。真田幸村が境内の榎に鎌を突き刺して戦勝祈願したとつたえられている。いまでも住職がご神木に鎌を突き刺して悪縁断ちを祈願する「特別祈祷」が行われている。
身の回りにある悪書、悪食、悪縁すべてを断捨離しなければならない年齢となり、こうした縁切り神も貴重な存在と思える昨日今日である。
縁切り神の効用
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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