フジの作った最後のTV芸者・高島彩

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フジの作った最後のTV芸者・高島彩
 いまやどうにもならないフジテレビの全盛期が作り出した「最後のテレビ芸者」それが「高島彩」というキャラクターだろう。カメラの前の彼女をみると、面白くなければテレビじゃないという当時のフジの社風がそのまま残っている。
 つまり彼女の脳みそはいまでも「芸能万歳エンタに媚びること」こそが女子アナの本分と心得ているということが読み取れる。
 高島彩は成蹊の後輩でもあり、政治学科に学んだのだからニュースとの対峙にはいささか期待していた。ところが政治社会のニュースを紹介するときの彼女の表情は全く死んでいる。北朝鮮問題も尖閣問題も通り一遍に読むだけ、イスラエル首都のときも全くニュースに興味がなく、ポーカーフェイスで読み飛ばすだけ。彼女の肉体のなかにリアリティがないのだ。
 芸能の三流スキャンダルのなかで、おだてられ「アヤパン」などと呼ばれて地上波のなかでぬくぬくと暮らしてきた女子アナの特質が表れている。
 芸能ニュースになると、途端に薄ら笑いで媚びが前面にでてくる。本人はテレビのスターの取るべき表情と思い込んでいるようだが、それこそがB層を喜ばすだけの地上波の末期症状だ。若者も識者もニュースはネットでみて、地上波のニュースは見ていないという現実が判っていない。もう一人の長野智子のほうがずっとニュースを理解している。
 高島彩の父竜崎勝は地味で思慮深い俳優だった。その血をひいているのだから、もう少し教養の深さを感じさせてほしい。口先だけの伝えるアナウンス技術は、落日の前のテレビの残り火で、あしたは通用しなくなる。メイクの上手さは充分よみとれるので、あとは人間性のもんだいだ。
 つなぐ媚態のテレビ芸者は卒業してほしい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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