小室哲哉は性格破綻者である。

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大寒の水について
 小室哲哉は音楽のジャンルで優れた才能をもっている。
 と同時に性格破綻者でもある。今回の看護師さんとの浮気釈明会見をみても、普通人には理解できない論理のすり替えを平気にやっている。いくどもホテルに泊まり、同室してもすべてニンニク注射のためと釈明し、相手の看護師について迷惑をおかけしたという言葉はひとつもない。
 そのうえ今回の事件のけじめとして、本人は音楽の世界から引退する、と言っている。
 あまりにも飛躍しすぎて常識人には理解できない。浮気と音楽のあいだにはなんの因果関係もなく、なにをいっているのかまったく理解できない。そのニンニク娘が小室哲哉の音楽を偽作していたとか、なにか音楽上のことにかかわっていたのなら、これを機会に引退という理屈も理解できるが、音楽は無関係、介在する要因としてはニンニクしかない。
 そもそも小室哲哉の音楽はマーケティング音楽と言われてきた。彼のなかには電通がすみついている。
 発想は芸術的ではない、あくまでも商業的視点から曲作りをしてきた。だから彼はよくタイアップが決まらないと曲が書けない、とわめいてきた。すべてはスポンサーありき、タイアップありきで、仲間からも「迎合しすぎる」「売ることばかり考えている」と揶揄されてきた。
 一時は個人スタジオを三つももち、ロンドンで考えないといい曲が浮かばないと華やかな作曲活動をしてきた。
 小室哲哉と女性はあまりにも因縁が深い。結婚も三回以上している。キララとウララのキララ大谷香奈子、DOSの吉田麻美、そしてGLOBEの山田圭子、その間でも噂に上っただけで篠原涼子、華原朋美、そしてニンニク看護師…彼と仕事をともにして口説かれなかったらよほど女性度が落ちる、というのが仲間うちの話だ。
 彼の女性渇望症は相当に根深く、仕事半分女性半分というより、新鮮な女性そのものが作曲のエキスだといわれてきた。
 JASRACに登録済みの自分名義楽曲806曲の二重譲渡事件でも、ばれると判っていて素人に10億の金で著作権譲渡をしたという信じられない詐欺事件をおこした。
 やはり小室哲哉は性格破綻者としか言いようがないのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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