「明石家さんま」という芸人ほどテレビにとって都合のいい芸人はいない。
バブルがはじけてから随分多くの芸人が上京したが、テレビジョンという媒体にとって「さんま」ほど重宝な芸人はいなかった。吉本から松竹芸能から次々と送りこまれた芸人たちは、どれもこれも貧困な、または下品な芸を売り込んでは自滅していった。
さんまはこれといって芸は売り込んでいない。正確にいえば、芸はないのかもしれない。それが今日のサンマを産みだした。芸がないというのが、さんまの特徴であり、さんまの武器になった。サンマのサンマたるキャラクターがもっとも輝きを見せるのはシロウトと対峙したときだ。
シロウトをいじらせたらさんまの右に出る者はいない。シロウトにはギャラを払う必要がないので、(払っても交通費プラスなにがしで)懐不如意のテレビ局に取ってこんな有難いことはない。さんまの番組には、なるべくシロウトを多用することで、製作費の節約になるし、かえって面白さが生まれる。
つまり「明石家さんま」はさんまとテレビ局の合作ともいえよう。
さんまのオフデューティ、もっぱら都内のキャバクラだそうだ。キャバクラでは、さんまは徹底的に遊ぶ。それもかなりエロく楽しむ。女性の一人遊びに使用されるマッサージ機をふりまわし、女の子たち皆に試しては反応を喜ぶ。さらに果物や野菜を女の子に食べさせ、もっとエロく食べろと、引き笑いで楽しむという。
女の子全員に指名をつけ、チップも弾んで、一晩に百万以上は使って気前がいいので、店からも女の子からも嫌われないという大尽遊びが、さんまの夜遊びと伝えられている。
さんまもよる年波には勝てず、最近は「俺の子を産んでくれ」と若手のタレントや一夜妻にねだっている。一夜妻が「もし子供を産んだらいくらくれるの」と問いただしたところ「そやな月30万でどうや、マンションも借りたる」「そいじゃ、IMARUちゃんのこずかいより安いじゃん」と言うと「あれはお金がかかったわ」と苦笑していたという。金はあると常日頃豪語するさんまも、案外シブチンだという話だ。
地上波テレビにおける人気の終わりが見えてきたのかもしれない。いつまでもシロウトをいじっていたら、いつか棄てられる現実に気がついているのかもしれない。
明石家さんまという「素人いじり」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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