今年も有難く宅急便で「お節料理」が届いた。祇園町の名店川上さんの心尽しだ。京都のお節は関東に比べ、味が薄いので足がはやい。お重のうしろには、一月一日23時までにお召し上がりください、とある。我が家は老妻とふたりなので、4人前のお節をいただいても23時までには食べきれない。
そこで近年「親戚のムスメ」と称する他人がやってくる。そのムスメとお神酒をかわし、川上のお節を楽しむ。およそ宗教心を感じない現代っ子であるムスメは、クラフトの全日本組織をたちあげ、世界をリードする日本の工芸の国際化という大層な目標に日々心を砕きながら、銀座4丁目のギャラリーで社長を務めている。
今風にいえばキャリアのかたまりのようなムスメなのだが、気負い過ぎたところのまったくない率直で気持ちのいい人柄なのだ。たまに男の影もちらつくが、さっぱりと清算し、私いま独身だからと、けらけら笑っている。健康で知恵と豪胆さを兼ね備えた珍しい女性だ。
すぐる年、佐久の鼻顔稲荷に初詣に出掛けた。ムスメはピンヒールを履いて雪と氷の軽井沢にきた。すっかり反省しあくる年からは低めのブーツやら、完全防寒であらわれるようになった。日本の中央 生島足島神社では、大地のご神体に祈りを捧げた。関東の一之宮富岡の貫前(ぬきさき)神社に参り、日光東照宮より社格が上の初詣をともにした。なんとはなしに初詣はこの「親戚のムスメ」とともにする通過儀礼になってしまった。さて次の初詣はどちらの社にしようかと思案中、善光寺まで足をのばすか、別所温泉北向観音あたりにするか、すべては元旦の「親戚のムスメ」の意向次第だ。
ところで日本のお節は世界一の食文化ではないか。これほど祈りと結びついた食の習慣はなかなかにみつからない。子孫繁栄をカズノコに託し、片口いわしの田作りは五穀豊穣、黒豆は邪気を払い、紅白のカマボコには魔除けと清浄を願い、家の安全はタタキゴボウ、昆布巻きに喜び、チョロギは長寿のあかし、腰が曲がるまで共にの願いはアカエビに、いわば信仰食ともいうべき内容で、そのうえ女性を家事労働から解放するという、和食の思想をこれほど世界に発信できる行事食はほかにない。
お節料理は日本の祈りの食であり、文化そのものであるともいえよう。
お節料理は祈りの食文化
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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