江戸っ子にとって、春の潮干狩りはきわめて大切な行事だった。
東京湾がきれいな海だった時代、稲毛から幕張あたりの遠浅の海に江戸っ子はむらがって、浅利や蛤を採っていた。引き潮の2.3時間が勝負で、潮が充ちてくると三々五々浜に引き上げ、漁師小屋で酒蒸しや、天ぷらにして楽しんだ。
戦前も戦中もあれほど綺麗な海だったのに、知らぬ間に東京湾は汚い海にかわってしまった。
東京湾は何時の頃からか綺麗な海をとりもどしたが、在来種の蛤はずっと小さくなり、浅利の漁獲量も激減した。浅利を主役にした深川丼も貧弱なみすぼらしい丼となり、喜代村あたりが復活を見込んで養殖の大浅利を投入するようになって始めて深川丼の明日が見えてきた。
在来種の貝が滅亡の路をたどるなか、1998年幕張の人工海岸で発見されたのが、「ホンビノス貝」アメリカの貝だった。1999年には京浜運河で、2000年には千葉港でと、ホンビノス貝がぞくぞくと発見されるようになった。聞けばアメリカ東海岸では、食用として歓迎されているという。ワイン蒸しに、クラムチャウダーに、ロードアイランドでは州の貝に指定され、晴れがましい貝だということがわかってきた。
2012年に800㌧しか採れなかったのが、2016年には2500㌧となり、浅利の海はホンビノスの海にかわった。爆発的な繁殖力をもつこの貝を、いつまでも放置しておくのは勿体ない、とこのほど千葉県が、ブラント水産物として大々的に販売宣伝していくことになった。
深川丼プレミアムとして、大浅利に擬せられたホンビノス丼が登場するのにそんなに時間はかからないだろう。東京駅、品川駅、そして深川櫓下のあたり、近頃立派な浅利めしが噂になるのは間違いない。
アメリカ由来の大浅利
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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