去る9月に富岡八幡に関する心配事をブログしたが、それ以上の凄惨な事件が起こってしまった。
姉の宮司とその運転手を、元宮司の弟夫妻が殺戮するというテレビのミステリーにも登場しない恐ろしい事件だ。この弟は自分に向けられた疑惑の眼について正当な弁明することなく、ひたすら逆恨みをしたとんでもない人間のようだ。氏子代表の弁によると、その弟はお金にだらしなく神官としての性格に著しく欠けた人物であった。
いっぽう神社本庁からの脱退も、女性宮司を認めないという伝統的な神道の本旨にもとったことへの、反発だった。姉宮司と氏子代表も、世の中全体の無責任な人権思想に毒されていたのではないか。
弟の出来の悪さと、姉の宗教者としての思想の浅さは、第三者からみればどっちもどっち、今時の軽い風潮が、殺人犯罪に走らせたともいえる。
神官の殺人事件というのは幸か不幸かきいたことはないが、メディアに氾濫している殺人ミステリーをみれば、なるほどこんな大馬鹿神主も出るだろう、と想像できる。
江戸っ子として生まれ、下町に育った筆者としては、富岡八幡には絶対起こってほしくない事件だった。
富岡八幡参詣の折に立ち寄った深川櫓下の茶屋の奥座敷が思い出される。
座敷の雪見障子を開ければ、眼の高さに掘割の水が流れていた。座敷が川のなかにあるような錯覚を覚えたが、江戸っ子を乗せたチョキ舟のいく昔が、なにげに聞こえてくる三味線の音に乗って視えた。忠臣蔵も雪の日の深川で起きたし、風流深川唄もここで生まれた。松尾芭蕉も奥の細道へはこの深川から出掛けた。
深川は江戸の文化の真ん中にあった。
その深川の真ん中で、こんな事件が起きるとは、江戸っ子にはとても我慢できない。
富岡八幡神主殺戮事件
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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