祇園甲部に芸妓 壇蜜ならぬ「だん滿」が生まれた。
芸妓といっても立方をする芸妓ではない。つまり舞手ではなく、唄と三味線でお座敷を務める。お姉さんは三味線のベテランだん祐さんである。京風なはんなりとした芸風よりも、どちらかと言えば都会的な歯切れのいい三味線をひくお姉さんの妹としてお披露目した。
長唄や三味線方は年々少なくなっているので、こうした芸妓がでてくるのは、祇園町としては歓迎なのだ。
だん滿さんは、かってロック・シンガーだった。和歌山で生まれ、関西で活躍し、のちに東京に演奏の場を移して活動していた。実姉の小愛さんの影響から、祇園に伝わるにほんの芸能に興味をもち、いつしかギターが三味線に変わっていった。いまどきの若い女性としてはかなり珍しいほうである。
祇園町では何年か前、三味線からギターに変わった舞妓さんがいた。結局その舞妓さんは祇園を抜け、東京新橋からでて、いまでは新橋の名妓になっている。
ギターに惚れて祇園町から引き、普通のお嫁さんになった舞妓さんもいる。そうしたなかで、ロックから三味線にかわって長唄を習っていこうというのだから貴重な存在である。この先ははたして何時まで続くか、ということだ。
外の世界とは全く違うルールのなかで、修行をつづけなければならないので、自由奔放な都会生活を送ってきた若い女性には覚悟がいる。礼儀作法や一年とおしての通過儀礼にもこまごまとした約束事がある。そうしたことをひとつひとつ覚えながら、まずは祇園言葉を身につけて、この花街になじんでいかなければならない。
積み重ねた歳月がはじめて三味線にうつって、祇園町のはんなりに育っていくことだろう。
「だん滿」さんの努力と精進に期待している。
壇蜜ならぬ「だん滿」さん祇園に生まれた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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