「招き」が死んでいる

by

in

「招き」が死んでいる
 師走の京都を飾るものに、「招き」がある。
 四条通りの南座正面に60枚近い役者名の大看板が上がる。一枚の大きさは縦1.8メートル、横33センチ、檜の厚板。文字は勘亭流の芝居文字で墨魂鮮やかに出演俳優の名前が書きだされる。
 江戸時代には来年一年この小屋で芝居を演じますという契約証書みたいなものがこの劇場前に掲げられる「招き」だったのが、近年になって師走の顔見世興行の出演俳優のしるしになった。
 南座に招きが上がると、京都のまちに年の瀬がやってきて、皆忙しげに歩くようになるといわれてきた。
 今年はその四条通りに招きがない。
 劇場が使えないのだ。なんでも消防署のお達しで、耐震工事をしなければ使用禁止というのだ。おかげで今年の顔見せ興行は、岡崎にある京都会館、いまは名称販売でロームシアターという名の劇場で上演することになった。
 招きも京都会館の入り口にありますえ、というので岡崎までいかなる招きかと見に行った。結果は案の定、町衆の心を湧き立たせてくれる招きはどこにもなかった。入り口の上に招きはならんでいたが、道行く人との距離がありすぎて、全くアピールがない。招きの華やぎが皆無だった。
 公共建築物の味気無さがありありとでている。こうした建物をつくる設計者に劇場という生き物がわかっていない。界隈の賑わいを招いてこその劇場なのだが、かえって賑わいを拒否するのが、建物の特徴になっている。
 このところ、耐震問題で祇園歌舞練場も使用禁止になっている。そのため北の造形大学の講堂で都をどりも、温習会もやっているが、まつたく祇園町とは離れていて空気がつたわらない。
 そこに劇場があるからやればいいのではなく、祇園町の生きているアカシとして上演するという趣旨がまったく解離している。
 何時までこの状態が続くのかわからないが、ヨーロッパでは都市の中核として劇場があり、公共の援助によって維持されている。南座も祇園歌舞練場も京都の宝なのだから、しかるべく応援すべきではないだろうか。
 文化庁の招聘に躍起になるまえに、やることがあるのではないか。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ