フラリーマンに幸いあれ

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フラリーマンに幸いあれ
 政府の働き方改革の推進によって、耳なれないサラリーマン層が発生している。
「フラリーマン」と呼ばれている。発生区域はもっぱら駅周辺の繁華街、もしくは飲食店街だといわれている。
 いままで、会社で夜遅くまで勤勉に働いていたサラリーマンが、働き方改革によって、5時になったら帰りなさい残業は許しません、ただしノルマはありますから昼間にしっかりはたらいてください。といった上司の命令によって行き場を失ってしまったのだ。企業は残業代カットにより、ますます人件費が節約でき、すくなくとも5兆円もの内部留保が拡大している。
 定時とともに会社から放り出されたサラリーマン達は、しかたなく身近の遊弋地域に流れる。
 行きつけの居酒屋、なじみのいるキャバクラ、童心に帰ってのゲームセンター、などなど、思わぬところで働き方改革景気が起きている。会社が終わってまっすぐに帰れないサラリーマン達が、いっせいにフラリーマンになるのだ。
 新宿思い出横丁の宝来家も、渋谷のんべい横丁の会津も、吉祥寺ハーモニカ横丁の花ちゃんも、最近は口開けと同時にこむという不思議な現象が起きている。生真面目なフラリーマンは、真っ暗になった公園のベンチでレシーバーを耳に英語の勉強に励んでいる。パソコン・カフェなども順番待ちが廊下にはみ出している。家に帰りたくとも帰れないフラリーマンが増殖している。
 共働きが多く、早く帰っても邪魔にされる。女房が仕事を終わって帰宅、晩飯の用意が整ったころ、子供も塾から帰って、(*>∀<*)ノただぃま★というのが、家庭平和のコツということらしい。家庭を支えながら、家庭からはみ出してしまった男たちの悲しい現実がこれだ。 フラリーマンに幸いあれ!


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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