琵琶湖疎水通船67年ぶりの復活

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琵琶湖疎水通船67年ぶりの復活
 京都の殺人ドラマに必ずといっていいほど登場するのが、南禅寺の境内にある水路閣だ。
 煉瓦作りのアーチ状の水路閣は、どことなくヨーロツパ風でもあり、京都の風景とはいまいち違和感があるのだが、ローマを思わせるアーチと南禅寺庭園とのミスマッチに人々は魅せられてきた。
 アーチの下で出会いがあり、アーチの下で別れがあり、ときにアーチのしたで殺人があって、京都におけるドラマ風景露出のベスト・スリーに上げられるかもしれない。
 あの煉瓦のアーチの上は、琵琶湖から京都へと水を引いた疎水が流れていると教えられるまでは、何年かかかった。
 明治の初め都が東京に移され、失意の京都の人々による一念発起の大事業として琵琶湖疎水は建設された。大津の三保ケ埼から取水された疎水は、大津、京都、伏見、宇治をむすび、単なる水運にとどまらず、日本で初めての水力発電をし、水道水の供給源となり、灌漑、下水道の掃流、あるいは工業用として働いた。
 いまでも京都から滋賀県に対し、毎年二億二千万円の疎水感謝金が支払われている。公共水道の資源として疎水はいまだに寄与している。
 その疎水に67年ぶりに、観光船としての琵琶湖疎水通船が復活する。来年春と秋を中心に82日間の営業をするという。区間全長8.7キロ、蹴上から大津行4便、大津から蹴上行5便を、平日4000円、土日祝5000円、桜や紅葉の大型連休中は8000円、という料金で運行する。蹴上のインクラインでお花見をしたり、蹴上水力発電所をひやかすだけではなく、是非この疎水通船を体験してほしいというのが運行会社の願い。 ちなみに二艘の新船の建造費は、京都のふるさと納税でまかなったそうだ。
 疎水べりには、疎水工事の一環として多くの桜を植えたといわれているので、京都の水と桜の名勝がまたひとつ増えたことになる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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