突如、冬がやってきた。
天気予報は、軽井沢・最高4度/最低-3度とんでもない数字を告げている。
まず外出するときの服装から、生活を組み立て直さないといけない。毛糸のセーターは何処に、多分明日からコートを着なければならないので、どれにしようかな。
下着はユニクロのヒートテックでオーケーである。スラックスはごく当たり前のウールだが、撮影行にはジーパンをはくのでさほど問題はない。トップスはグースのダウンを着込めば温かさを保証してくれる。それ以外は手袋、目的別に皮乃至毛糸で対応できる。
いちばんの問題はスラックスの下である。永らくタイツを履いていたが、暖かすぎて風邪をひいてしまうことがままあった。何かないかとさがしていたところ、LOFTで見付けた。
エステティシャン高橋ミカ・プロデュースと、わざわざ断り書きのある「レッグウォーマー/シルク×綿」…薄手で軽い着用感なのにしっかり暖かい、と注釈がある。これはひょっとしてと足を通すとなるほど軽くて暖かそうだ、一年中冷え知らず温活美容とかいてあるのには、どことなく男無用の響きもあるが膝の上下空間だから関係なかろうと、今シーズンはこのレッグウォーマーの世話になってみようと思っている。
さて寒い軽井沢の今頃からは、ハニワ・ルックの高校生たちが町を歩きだす。都会のJKなら膝小僧の露出にこだわって、制服のスカートをたくし上げハイソックスとのコンビで膝の若さを強調するところだが、北国のJKは暖かさ追求が第一義で、ファッション・センスは置いてけぼりになる。
制服のスカートのしたにジャージやジーパンを堂々と穿きこみ、埴輪そっくりのシルエットになる。
浅間山が白いコートに覆われると、ああいよいよ始まるハニワ・ルックのシーズンと、伯父さん達は想像するのだ。
埴輪ルックの冬が来た
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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