笹だんごの残影

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笹だんごの残影
 昔からその土地に根づいた故郷のお菓子があった。
 京都には八つ橋が、江戸には雷おこしが、諏訪には大社せんべい、といったぐわいに風土と結びつき、信仰と結びついてお菓子の伝統を受け継いできた。旅行や遠足のお土産として喜ばれ、旅のあかしとして人々に愛されて、何十年何百年の時を経て今をむかえている。
 が流通革命の名のもとに多くのお菓子が変質を迫られている。東京駅にいけば、全国の土産菓子が集められて売られている。旅先で買わなくとも、旅の終わりの駅ですべてが間に合ってしまうのだ。こんなに便利で重宝なことはない。が、これでいいのだろうか。旅先から、重かったり、邪魔だつたりしながら、持ち帰ったお土産にはそれなりの価値があるように思う。なるほどパリのチョコレートが本人の帰国前に自宅に届いている奇跡はあるが、お土産としての心がないような気がする。だから空港にあるニューヨークやロンドンのお土産屋は覗かない。真心を奪われるような気がしてしまうのだ。
 すぐる年、郵便局で「新潟の笹だんご」というパンフレットをもらった。
 そこには新潟各地の郵便局が管内自慢の笹だんごすべてを掲載した「オール・アバウト・笹だんご」の通販カタログだった。どれが美味しく素敵な笹だんごかは知る由もなく、写真に写ったある笹だんごを選んで発注した。その笹だんごは大当たりで、それ以来あんなに美味しい笹だんごに遭遇していない。発注した店もデータも紛失し、その至福の笹だんごは行方不明になってしまった。
 とある雑誌のページをめくると、笹だんごを縛れる人が減ってきました、とある。新潟では笹だんごは、スイーツではなく信仰食でした、ハレの日には、家族総出でつくった笹だんごを神棚に供え、無病息災、家内安全を祈りました。新潟人の原体験が、ただのお土産やスイーツになってしまったのは寂しいですね、笹だんご作りは手間もかかり、、辛抱強い新潟の県民性の象徴が笹ダンゴだと断言できます。と続いている。
……笹だんごの衰退は、新潟県人の変質を告げているのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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