ミシェラン三つ星の高尾山

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ミシェラン三つ星の高尾山
 東京の小学生にとって、初めての遠足が高尾山という経験者は多い。
初めて電車からケーブルカーに乗り、リュックを背にちょっぴり山歩きを経験する。1200種の植物と100種の野鳥がいて、貴重なお山と教えられた。
 ある時高尾山の山懐に、うかい亭という鳥料理の村落ができた。村落というのは、飛騨から合掌民家を移築し、それを中心に多くの離れをつくり、いろりを囲んで鳥料理を饗するという画期的な食のテーマ集落が造られた。民家園と料理小屋の集合体で東京にありながら、日本の山村風景を体験できる画期的な施設だった。
 六本木時代には、海外からのお客様をもてなす定番のうかい亭であった。うかい亭は後にステーキうかいをつくり、懐石のうかい竹亭をつくり、都心には豆腐屋うかいやら、つい先日トランプ大統領夫妻をもてなした銀座ステーキうかいとますます拡大しておもてなし処の雄となっている。
 何年ぶりの高尾山だった。富士山とともにミシュラン三つ星をえた効用かもしれないが、そこは山ガールと中国からの観光客であふれていた。天狗信仰の修験の山の気分は全くなく、山の原宿のごとき呈をなしていた。わずか599メートルの山を登るのに、それも大部分はケーブルカーであるにもかかわらず、山ガールたちは3000メートル級の登山支度でオシャベリをしながらの高尾登山なのだ。
 よく見るに、登山ごっこである。ごっこ遊びをしているとしかみえない。インスタ映えのする写真を撮るため、やざわざ登山のためのファッションを整え、高尾山にやってきたのだろう。
 薬王院の水行も火渡りも、殺生禁断もみな、スマホ写真の小道具であって、修験道の霊山もかたなしなのだ。行基菩薩も飯縄大権現もみな存在感をなくし、霊力も呪力も必要としない不思議な三ツ星の高尾山になっていた。


コメント

1件のフィードバック

  1. うかい亭二か所だけ行ったことがあります。
    東京タワーの近所ともう一か所
    感想は…
    舌が金田中庵で出来ているので謎でしたw
    高尾山は未経験です。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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