ティファニーに忘れた頃のカフェ誕生

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ティファニーに忘れた頃のカフェ誕生
 有楽町のアマンドこそ最高のカフェと信じていた若者にとって、ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」は衝撃の映画だった。宝石を見つめながらのパン食いとは思わず、てっきりティファニーのなかに朝食カフェがあると信じての初ニューヨークだった。閉鎖的な作りのティファニーにいって、がっかりして帰ってきた。ホテルやトランプ・タワーにカフェはあっても、五番街の路面店のカフェはみあたらなかった。 長い間アメリカにはカフェ文化はないと信じてきた。
 あれから半世紀たって、あのヘツプバーンのイメージが具体化することになった。
ティファニーの本店にカフェができる。「ザ・ブルーボックス・カフェ」ティファニーのテーマカラーである淡いブルーに彩られたカフェだそうだ。フランス的なオープンカフェではないところが、やはりアメリカだが、ないよりはずっとましだ。高価な宝石を横目に、お茶ができるというのはやはり至福の時に違いない。
 ローマのコンドッティ通りには、あの倉敷が真似をした「アンティコ・カフェ・グレコ」がある。
 ロンドンの朝飯や午後のお茶といえば、「ケンジントン・レーン・カフェ」がある。イギリス生まれのサンドウィッチもよし、コーヒーもよしなのだ。
 パリに行けばカフェはあまりに多い。シャンゼリゼーの「フーケッツ」はお上りさんにはこの上なく便利だし、贅沢気分を味わいたければ、「ラドュレ」のシャンゼリゼー店がお勧め、芸術文化に興味があれば、「ル・セレクト」や「カフェ・ド・フロール」「ドウ・マゴ」にサルトル、ヘミングウェイ、ピカソ、ヘンリーミラー、、ジャン・コクトー、さらにフジタ・ツグジと縁のある名前が登場する。
 オペラ座のまえには、設計者がおなじガルニエによる「カフェ・ド・ラ・ペ」がある。ここでは朝食からアフター・オペラまでカバーしてくれる。
 筆者はもっぱら紅茶党なのでカフェより「サロン・ド・テ」が贔屓、ルグランの隣のスクリーブにある「サロン・ド・テ」がマイ・ベストだ。リヨンの世界紅茶協会会長さんの作っているユアンという素敵な紅茶にありつける。紅茶党にはいちどは試していただきたい店なのだ。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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