制服は時代とともに

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制服は時代とともに
 制服には数々の思いがある。
 学生時代の制服といえば、なんといっても女子のセーラー服だった。あの子は立教、あの子は成蹊、あの子は山脇、あの子は女子学院、あの子は川村、ファースト・インプレッションはすべて制服のかたちからきた。
 襟についたラインが、白か、赤か、一本か、二本か、三本か、短いネクタイがついたり、スカーフだったりそんなことで放課後の見極め談義が白熱していた。
 長じて制服への関心は、スチュワーデス つまり今いうキャビン・アテンダントに移った。
大橋巨泉がイレブンPMのなかで、航空会社の制服が変わる度ごとに妙にはしゃいでいた。膝下か、膝丈か、それとも膝上何センチと意味のないレポートに興奮していた。今では乗客のほうは、ほとんどパンツやタイツになってしまったが、CAだけがタイトスカートを履いてサービスしてくれていると、感謝の心が倍増して嬉しくなる。
 食事の折、コックさんのかぶりものと白いコックコートにドキドキしたこともあった。
 清潔なコックコートをきりっと着こなしたシェフの風情に、つくる料理のレベルをうかがい知ることもある。
 洋食のコックさんは、やたらに高いそそり立つ帽子をかぶっているが、広い厨房で大勢のスタッフが働いているのなら納得するが、ひとりふたりの小さな厨房で高い帽子をかぶっているのは、漫画に近い。
 和食のコックさんが糊のきいたワイシャツにネクタイを締め、シングルのコックコートに白い前掛けをしっかりまいて挨拶に出てこられると、やっぱりもてなしの心意気が違うと有難く料理と向き合う。
 軽井沢では空前の別荘ブーム、三井の森でもあちこちで普請が始まっている。
 だぼだぼのニッカポッカが風を孕んで働いている。職人のあいだではこのダブダブ・ズボンを七分と呼び、足元の障害物や風の強さをしらせるセンサーになっているらしい。鳶の間ではダブダブの幅ひとつで仕事がわかるといわれる。首のしまったハイネックのシャツにベストを着、幅広の安全ベルトをしっかりとまいている。ぴったりとした地下足袋も高所作業の必需品だ。
 働く制服はたのもしく、頼りがいがあって、時代と共に少しずつ変わって行く。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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