添乗員、ツアコンの旗じるし

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添乗員、ツアコンの旗じるし
 就職希望のベストテンに旅行代理店、JTBやら、近畿ツーリストが入っていた時代があった。
 海外旅行がまだ自由に出来ない頃、旅行代理店に入って海外へ添乗するのが、学生たちの夢だった。JALパックでイタリア旅行、個人旅行に慣れていない日本人には、団体旅行で香港、シンガポール、ハワイ、グァムですら添乗員つきのパック旅行に頼っていた。
 学卒の英会話そこそこにとっては、添乗員の仕事がとても素敵な職業に映っていた。
 幸か不幸か筆者は添乗員付きの海外旅行にあまり縁がなかった。ニューヨークもベガスもパリもいつも添乗員なしの一人旅が多かった。ひとり旅をしていると、団体客からなるべく遠ざかるようになるが、ときにツアコンの説明に耳を傾けて盗み聞きすることもある。
 添乗員ツアコンダクターにも、いろいろな人がいる。旅行解説書さながらに四角四面な説明をする女性、冗談をとばして悦にいる男性、必死にお客さんの後を追いかけている新人ツアコン、なかでもグループの先頭に立って迷子を出さないように先導するツアコンには、それぞれのお国柄が出ていて面白い。
 大和撫子のツアコンは、伸縮自在のカネの棒に社名いりの旗をつけかざして歩くスタイルが多い。
 中国人のツアコンは、スマホの自撮り棒の先に房飾りをぶら下げたり、偽のギョクをつけて先導している。
 ヨーロッパではおおむね折り畳み傘の柄だけを伸ばして傘の布をふりかざして案内している。
 小さな旗をかざすというのはいかにも日本的な習慣で、天皇陛下のお迎えも、選挙演説も、みな小さな日の丸にはじまつている。中国人はようやく海外旅行が解禁となり、旅行のさきざきで写真をとるのが流行っているので、ツアコンの自撮り棒にも実用性がある。ヨーロッパ人のさかさ傘は突然の雨に対する備えにもなり、折畳傘の選択は個人まかせなので、個性的な目印である。
 添乗員の目印にそれぞれのお家の事情が現れていて面白い。なお当節のツアコンはブラックそのものの仕事でかっての人気はどこえやら、の不人気ビジネスだという。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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