外氏即興人形劇場との別れ

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外氏即興人形劇場との別れ
 パリから北東へ200キロ余り、ベルギー國境に近く人口5万人ばかりのシャルルヴィル・メジェールという町がある。白鳥が遊ぶムーズ河に面し、町の建物はすべて3階建て以下の落ち着いたフランスの地方都市である。この町で三年に一度世界一のまつりが開かれる。国際人形劇フェスティバルである。9月下旬の10日間、広場も通りも裏街も劇場もみな人形劇場になる。
 ロシアから、北欧から、イギリスから、オランダから、アメリカから、最高レベルの人形劇団が集まる。日本から文楽もいったことあるし、人形劇団プークもいった。
 旧友水田外氏から電話がかかってきた。「実はシャルルヴィル・メジェールに行くことになった。新美南吉の「ごんぎつね」を持って行こうと思う。ついては英語版ごんぎつねを創ってほしい」という依頼だつた。町はバブルにうかれていた。
 外氏との付き合いはそのずつと前から。若かりし頃のデビ・スカルノ夫人がいた赤坂のナイトクラブ、ニュー・ラテンコーターや、ヌード・ショウのメッカ日劇ミュージック・ホールの舞台でのこと。プークを脱退して独立した水田外氏は、子供のための人形劇にあきたらず、大人の鑑賞に耐え得る人形劇をめざしていた。
 風刺の視点を上げ、子供だましではない人間描写と正面から向かい合ってショウ・アップしたいから手伝ってくれ、というのだ。猫の動きにたくしたエロティックな作品など、大人はニヤリとみてくれたが、演者のほうにそうしたエロティシズムを理解する俳優が少なく、結局学校まわりの道徳的人形劇に堕してしまった。
 モスクワに「オブラスツォフ記念中央人形劇場」という最高の劇団がある。イブ・モンタンもソフィア・ローレンもガンジーもファンだった。劇団の上演演目は、子供向け、青少年向け、大人向け、と三つに別れている。
 大人向けには、モーツアルト「魔笛」、ドン・ジュアンは76歳、プーシキン「スペードの女王」、ビゼー「カルメン」、「神聖喜劇」、チチコフとその劇団のための音楽会など、ユニークな演目が並び、客席はエロと笑いで抱腹絶倒という経験もした。
 水田外史のめざしたのも、そのあたりにあったように思う。
 何年振りに外史即興人形劇場から招待状がとどいた。外史の死後17年頑張ってきたが、今年いつぱいでフィナーレにするので見に来てくれ、という趣旨だった。
 かって外氏が演じていたゴンギツネは、愛弟子の中嶋咲枝が見事に受け継ぎ、吉永淳一のリリックな演出もそのままに、立派な舞台を見せてくれた。
 それにもまして文化交流館浅科の立派なこと、軽井沢にはまつたくない鄙稀に見る中劇場でのお別れ公演だつた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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