鰻が美味すぎる

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鰻が美味すぎる
 あまりに暑いので鰻のことを書く。
 鰻といえば、歌人斎藤茂吉にとどめをさす。茂吉の一生は鰻とともにあった。
「うなぎ時代」「うなぎ・鰻時代」「鰻時代」「うなぎ・鰻・ウナギ時代」「ウナギ時代」作品表記によって茂吉のウナギとの関わりが理解できる。それほどに茂吉はウナギを愛し、ウナギを食した。
 元旦早々にうなぎを食べ、三ケ日毎日うなぎを食した年もあった。回診して疲れたら鰻、映画を見て鰻、日米開戦のニュースを聞いて鰻、茂吉の毎日は鰻でなりたっていた。
 少年の頃、客人とともに鰻はあった。客によって仕出しの鰻はどんぶりだったり、重箱だつたりした。ごくまれに肝焼きがついてきた。
 長じて鰻懐石を覚えたのは、赤坂山王神社の境内にある「山の茶屋」だった。このうなぎ屋は大磯の吉田茂さんの家まで届けていると聞いてびっくりしたことを覚えている。その頃の「山の茶屋」は一座敷に一客しかとらず、いつ訪れても静かな森の静かさが迎えてくれた。
 「竹葉亭本店」に凝っていた時もあった。離れの座敷の文人風が好きだった。竹葉亭のふっくらとした鰻の香りと部屋の空気がこんなに合う店はなかった。業界の粋人が集まって句会を開いていたこともあった。
 パリのファッション街、フブサントノーレ通りの一角には麻布野田岩のパリ支店がある。パリへ行くと一度は「野田岩」に顔を出す。男性のフランス人フロアはいいのだが、着物姿の日本人女性の尊大な態度が気になる。なにかカン違いしているのだ。たかがウナギ、されどウナギなのだ。
 近頃はスーパーの鰻もだいぶレベルが上がってきた。酒に浸し、チンするとそれなりに美味い。さとうのごはんの「つや姫」に載せてたべると結構楽しめる。
 がやっぱり、赤坂「重箱」のうなぎを忘れることはできない。庭も座敷もすべてがうなぎなのだ。


コメント

1件のフィードバック

  1. 上野の伊豆栄さんに良く行きました。
    上野公園内のお店で色々な方にお目にかかりました。
    ウナギはとんとご無沙汰で…
    山椒だけ宅に用意してありますw

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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