浅草のスタス・レビュー

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浅草のスタス・レビュー
 浅草ROXビルにある「ゆめまち劇場」は不思議な小屋だ。客席はクラブ形式なのだが、ステージまわりはアングラ小劇場風という変った造りになっている。
 ラスベガスにはこうしたラウンジ・シアターと呼ばれる小屋が沢山あったが、いまではスポーツ・カジノにとって代られ、姿を消した。パリのモンマルトルにはいくつかこの規模のクラブ・シアターは残っている。ただ舞台まわりは、ゆめまち劇場ほど不愛想ではない。シルバーやゴールドの幕、無論ブラック・カーテンはあるのだが、自由に出入りできるスリツトカーテンや、鏡のホリゾントが用意されている。大道具がなくても充分に演出できるステージになっている。ゆめまちの楽屋の不自由さや、そっけない上下の舞台袖には、上演舞台が想像できない。
 そのゆめまち劇場でSKD・og・STASが、夏のおどりをやっていた。
 高城美輝、明石薫、銀ひ乃で 三人を中心に20人ほどのレビュウ狂を集め、懲りずに時代に逆らっている。がここまで執念深いと頭が下がる。浅草を愛し、レビュウが大好きという彼女たちは、そろそろ無形文化財にちかい。
 ショーが始まってしばらくは戸惑いを隠せなかった。クラブ形式の劇場なので、踊り手は度々眼前にやってくる。メークアップが大劇場風なのだ。突如オーバーメイクの踊り子が目の前に現れると、観客は戸惑うのだ。このような小空間で美しく見えるメークはあると思うのだが、そこそこに美女も多いのだから、そのへんをもう少し研究してくれると有難い。
 品のいいキレイに見えるメークは絶対にある。そうすることで旅回りの小芝居やゲイバーのアトラクションと差別化でき、文化庁の芸術振興補助にふさわしい舞台になると思うが如何。
 ショウはJ-ボンドの辺りから俄然よくなった。山鹿灯篭のリリックな美しさ、芹なづなと瀧園子の稗つき節からハイヤまで、さすがSKDの血を引いていると安心して見られた。 後半のダンスナンバーも安定した振付と表情で楽しませてくれた。
 主犯三人のエネルギーがどこまで持つか不安もあるが、こうしたアンチームなショウ・チームは貴重な存在だと認識した。10月には芸術祭に参加してパワーアップするとのことである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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