都心回帰の大学は生き残れるか

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都心回帰の大学は生き残れるか
 高度成長期に次々と郊外にでていった大学キャンパスが、都心帰りの様相をみせている。
 一二年の教養は郊外で、三四年の専門教育は都心でといった大学キャンパスの棲み分けがくずれつつある。
 一番の原因は人口問題、1990年に18歳人口200万人だったのが、2010年には120万人まで落ち込み、2030年には18歳人口は100万人になると予想され、2050年には70万人まで落ち込むと予想されている。生き残るためには、大学はありとあらゆる方策をうたないと廃校においこまれるのだ。
 少子化の影響をもろにかぶっている大学にとっては、アクセスがよく、身近に繁華街をひかえたキャンパスこそが、学生獲得のキャッチになる。
 現に日野キャンパスから渋谷に戻った実践女子大学の応募者数は30パーセント増になったといわれているし、青山学院大学も文系7学部の渋谷復帰で応募者数が増えているそうだ。田舎育ちのボンクラ娘にとって、シブヤという街に近い、それだけで魅力なのだろう。 大学も劇場型になって教授や教育内容よりも応募者の志向に媚びなければならない時代になってきたのだ。
 名門中央大学も八王子の多摩キャンパスに移して40年になるが、この40年は失われた40年とさえいわれている。イギリス法律学校に源をもつ法科の中央が、この40年間ずるずると落ちてきた。かって東大より優秀だった法科系卒業生が東大に負け、早稲田に負け、慶応の後塵をあびて、かっての輝きを失ってしまった。はたして後楽園キャンパスに移して栄光をとりもどすことができるだろうか。
 今 共立女子大、立正大学、拓殖大学、跡見学園大学とぞくぞく都心回帰が始まっているが、いたずらに学生に媚びて建学の精神を失ったら元も子もない。
 情報過多で思考不能に陥っているわかものを覚醒させる方法はないだろうか。渋谷や池袋に近いからと、進学を希望する馬鹿者たち、君たちに大学教育はいらない。
   


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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