鎌倉の花火にご招待を受けた。
長谷大仏前の華正樓3階のお部屋でお料理を楽しみ、その部屋から見える鎌倉の夏花火は如何というなんとも幸せなお誘いだつた。
長谷には観音さまもいるし、大仏もおわす。が私のなかでは、川端康成の「山の音」が浮かぶ。
初老にさしかかった男がふと耳にした「山の音」、死期の告知と恐れながら、息子の嫁に淡い恋心を抱く……
川端文学の最高傑作といわれた作品の舞台が長谷にある川端の家だった。その嫁はほっそりとしたからだ、顔が小さく、あごから首の線が娘らしく美しい女性だった。
山の音に登場するその美しい女性にそっくりのゲストが同席していた。今夜の主役石寺真澄さんの姪御さんで慶應義塾4年のタニ・パトリシアさん。心配りのできるお嬢さんに久しぶりにあつた。ガーデン・デザイナーの高山さんにもいろいろと世話になった。ストレート・ヘアの續久仁子さんはヴァイオリニストの趣きがあり、ダジャレ砲を構えるプロデューサーの高樹さん、そして人生のたいはんを外国で暮らしてきた元大使夫人の田中薫さん、大人達の夏の夜の集まり、個性それぞれのお客様をもてなして下さった石寺さんには、感謝以外の言葉がみつからない。
夏花火は、頑張りすぎず鎌倉に夏を告げるにふさわしい花火だつたが、スターマインとともに海に咲いた水中花火とのデュエットが楽しかった。 五山みな音駈けぬける梅雨明けの鎌倉だった。
帰途、立ち寄ったドイツパンのベルグ・フェルドのサンドイッチが絶品だった。
…… 遠き日の 鎌倉の浜 夏花火
鎌倉の夏花火
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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