昨夜は軽井沢・長倉の花火の夜だった。
この小さな町に夏の花火が四つもある。バブルの頃は六つあったこともあった。
天皇夫妻が必ず千ヶ滝の御用邸に避暑に訪れていた頃、その夜必ず千ヶ滝リンクで夏の花火が上がった。近所の老人がウルサイ、と警備の人をこずき倒したという噂が流れ、そのあくる年から千ヶ滝の花火はなくなった。
南軽井沢レーク・ニュータウンの夏花火は三越の全盛期に打ち上げられていた。前の年のNHK紅白歌合戦に出場した歌手のソックリさんを呼んできて、レークの中之島で唄わせてから花火になる。その夜は湖畔の三越スーパーも、三越デパートも深夜まで営業して盛り上げていた。大会本部のテントには、岡田社長以下お歴々が陣取り、若い女優が色をそえた。いまではその片鱗もない。
長倉の花火は我が家のすぐ下にある長倉神社の横を流れる湯川の河原から打ち上げられる。気象条件がうまくマッチした時には、わが家のサロンは花火見物の一等席になる。見下ろす森のうえにみごとに打上げ花火が華を咲かせる。スターマインも次々と丁度良いところに上がる。ガラス越しだが、近頃の蒸し暑い軽井沢では冷房完備の観覧席となってすこぶる好評である。たまに霧がたってまつたく見えない夏もある。遠くの友人を招こうと思うのだが、もし霧がたったら申し訳ないと招待できないまま歳月を重ねている。
今年の長倉の花火にはいくつか見所があった。和火に似た渋いオレンジ一色で打ち上げられたスターマインがあった。県内では下諏訪で和火だけの夏花火が上がるが、なかなかそうした江戸花火を味わう機会はなく、ようやく軽井沢にもそうした趣味が現れたと嬉しかった。ゴールド一色の大スターマインもあった。花火といえば、彩りゆたかにパチンコ屋の開店祝いみたいなものから、もうそろそろ卒業したらいいだろう。
花火にはその地域の民度が見て取れる。
軽井沢の夏花火
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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