スーパー・サラマンダーの国産化を

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スーパー・サラマンダーの国産化を
 「サラマンダー」とは火の妖精のことだそうだ。
 小さなトカゲのようであり、小さなドラゴンのようでもある。ふだんは燃える炎や灼熱の溶岩に住んでいるというから恐ろしい。
 このサラマンダーに因んでつけられた名前が、レッド・サラマンダー。土砂や流木に寸断された道なき道を進むのに、これほど適した車はない。孤立無援の山奥の集落にとってこれほど有難い車はない。車というよりは戦車にちかい。火器を搭載していない戦車、それがレッド・サラマンダーなのだ。
 九州北部豪雨の山間部被災地で活躍したのがレツド・サラマンダー。流木と土石流をこえて救助活動に邁進した。一般車両が走ることのできない荒地、段差、瓦礫、に加え水深1.2メートルまでの池、湖も踏破する。
全長8.2メートル、幅2.2メートル、高さ2.6メートル、重さ12トン、積載人員10名、最大速度50キロ、乗越え段差60センチ、最大溝乗越え幅2メートル、製造メーカー ST エンジニアリング(シンガポール)、価格は1億1000万円、普通目にする40メートル級の梯子車が1億7000万円、第三世代90式戦車が8億円という価格から考えると決して高い値段ではない。
 現在、愛知県の岡崎消防本部に一台しかない。今回も岡崎から大分の日田市まで移動するのに二日間かかっている。この際、全都道府県に一台ずつ常備したら如何かと思う。
 シンガポールから輸入してもよし、日本の兵器製造技術のレベルからみても、比較的かんたんに作れるのではないか。KOMATSUあたりが本腰をいれて製造すれば、より高性能なスーパー・サラマンダーが、生まれるかもしれない。災害列島と言われるこの国にとって、こうした車両の必要性は益々増えていくのではなかろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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