「お久しぶりです。書かれてますか。」「いやぁ、尻をかいて、恥をかいて生きてるよ。」
文壇人ではない、駄洒落の名人、作曲家の池辺晋一郎さんである。新国立劇場でオペラ「おしち」を上演した際、作曲で世話になった。歌舞伎から宝塚まで幅広く評論活動をされている横溝幸子さんは矍鑠としてお元気、都の優秀演劇審査でご一緒した。 デザイナーの森英恵さんは相変わらずのサングラスだったが、口跡が落ちて伝わりにくい。浅利慶太も黙って腰かけているだけだ。
上等な杖というべきか、ステッキをついて現れたのは花柳流の家元花柳寿輔さんだった。「足が不自由になってね、もう舞台にはたてないよ」「東おどりはやっているんでしょ」「うん、振付は大丈夫だけど…」芸術祭の作品つくりに共に汗を流したこともある。
みなそれぞれに仕事をし、老境にはいった芸術家たちだ。
「舞台照明とは、光をもって、劇芸術の創造に参加する仕事である。 吉井澄雄」
吉井澄雄の第24回読売演劇大賞芸術栄誉賞の受賞を祝って集まった面々、吉井さんは、石神井時代の劇団方舟から劇団四季の結成、日生に於けるベルリン・ドイツ・オペラからスーパー・カブキに至るまで、この国の照明デザイナーとして超一流の仕事をしてきた。
吉井さんの照明はいつもシャープに研ぎ澄まされて、無駄がなかった。脚本の思想、演出の意図を120パーセントバックアップしてくれた。
筆者は宝塚大劇場の隣りにバウホールが出来たとき、「真帆志ぶきショー」の構成演出をし、吉井さんの光に助けられた。
薄暗い会場のなかで、どこか見覚えのある女性に声をかけられた。アート・クリエーションの林智子さん、小栗哲家名舞台監督の右腕である。関西のオペラ演出家と結婚し、いまは中村智子さんになっていた。
「小栗ももうそろそろ引退しようかと、いってます」「…息子も売れてるし、もういいかも…」 無責任な挨拶を交わして別れた。
今井直次、石井尚郎、有馬裕人、沖野隆一、そして吉井澄雄さん、振り返ればいろいろな照明家にたすけられた舞台作りだった。
吉井澄雄さんの読売演劇大賞を祝う
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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