「もっとも重要と思うが、もっとも不快に感じる電子機器」ランキング第一位に輝いたのは、「KARAOKE」だった。イギリスに於ける調査で、携帯やパソコンを抑えて、圧倒的なトップに躍り出た。
1970年代に日本で生まれたカラオケは、1990年代通信カラオケの誕生とともに全世界に進出した。
といっても、海外ではそれぞれの事情から、たいぶ店の雰囲気はことなる。
アメリカ人は素人が人前で歌うという趣味はあまりないので、カラオケに行くときはプロの演奏に合わせてオドルという目的のほうが多い。中国では、シャオチェ(小姐)が寄り添ってサービスする風俗カラオケが当たり前になっている。
1950年代の日本では生バンドで歌う歌声喫茶だった。若者があふれんばかりに集まってうたうロシア民謡や労働歌、熱気むんむんの歌声喫茶だ。高年齢層は、ピアノやギターでの歌うクラブ・カラオケだった。それが80年代を迎えカラオケ・ボックスが誕生し、シングルCDのB面にカラオケが収録されるようになった。
この頃からカラオケは、芸能人憧れ型やら自己陶酔型、さらにナンパカラオケに分岐し、90年代通信カラオケの進歩とともに個室カラオケ、二次会カラオケ、パーティカラオケへと移った。屋台村やらエスニックレストランを蹴散らし、盛り場の女王となったのだ。がその頃がカラオケのピークで21世紀の掛け声とともに少しずつ衰微の様相をみせてきた。
いまでは「歌わないカラオケ」が中心になっている。
カラオケに昼飯を食べにくるOLがいる。料理もお茶もすぐ出てくる。一人でのびのびとランチをするには、カラオケが最高、というのだ。 グループ・レッスンは恥ずかしい。カラオケルームでパソコンをつないで一人英会話をする。英会話カラオケなのだ。英会話学校で一時間ひとりレッスンをうけると5000円はかかるが、カラオケなら一時間953円ですむ。コスパに優れたレッスンカラオケという訳だ。
広いパーティルームを借り切って、シネカラオケと洒落こむ女子会もあるという。豪華100インチモニターで好きな映画を見る。お気に入りのラブシーンはなんどでも巻き戻して、皆でキャッーと興奮しまくる。その上アルコールを注文してご機嫌で帰っていく。
カラオケでデートというのは、もはや古典的なジャンルに入る。会社の会議室かわり、ちいさな研修会、役者の台本覚え、お笑いの段取り合わせ、忘年会用余興リハーサル、大声だしてのゲーム・カラオケ……と歌わないカラオケがますます跋扈しつつある。
ちいさな空間から仲間の集まる空間と、これからのカラオケはカフェ、レストラン、居酒屋など飲食機能と、歌う・踊る・学ぶ・遊ぶのあらゆるサービスを備えたマルチ・レジャーのある町のコムュニケーション・センターになっていくのかもしれない。
この国ならではのおもてなしにみちた「歌わないカラオケ」は、公民館を超えた公民館なのだ。。
「歌わないカラオケ」のあした
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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