アリス沙良・オットが今もっとも刺激的な音楽家であることは間違いない。
日本人の母とドイツ人の父の間に生まれた彼女は、世界のどこにいっても国籍を聞かれるのが一番嫌なことだ、という。ザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学を卒業した。日本語とドイツ語と英語を話す。CDデビューは、リストの超絶技巧練習曲、案の定「天才少女」の文字が新聞紙上を埋めた。
ノエ乾、エリック・シューマン、フジ子・ヘミング……いま話題の混血音楽家たちは、欧米の音楽環境に自然に恵まれて育ってきた。そのため日本国内で音楽を必死に学び、楽しむことに縁遠かった日本人音楽家に較べ、どこかおっとりとしている。
アリス沙良・オットも世話繁にテクニックを押し付ける曲よりも、スローなゆったりとした曲のほうが評判がいい。リストより、ショパンのワルツ集のほうがはるかに評判がいいのだ。
それでも彼女は、アルゲリッチの情熱と、アシュケナージの緻密な繊細さが好きだという。きっと自分にはないものだから好きというのかもしれない。どこまでも自己流で、徹底的に自己解釈でピアノに向かう彼女は、日本人の嫌うタイプの音楽家かもしれない。
なにしろ譜面通り正確に引くことを至上とするこの国の楽壇人にとつて、「ミスタッチの多い天才」などは許されない。ミスタッチは憎むべき行為であり、ミスタッチを平気でするプロ音楽家はいないのだ。
彼女は経験が音楽をつくるという信念から、練習より経験を重視してきた。ルービックキューブが大好きで、吉幾三の「おらさ東京へ行くだ」を愛唱歌とする彼女は、いま世界中から引っ張り凧で、一年の七割をホテルのベツトの上で過ごしている。
鍵盤のうえで指がどう動くかではなく、指が紡ぎ出すファンタジーが主役になったとき、ようやくこの国にクラシックが根付いたと言えるだろう。
その日まで「頑張れ、ミスタッチの天才」それがアリス沙良・オットなのだ。
ミスタツチの天才「アリス沙良・オツト」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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