これを使うと年寄りと認定される昭和の言葉が発表された。
第一位になったのは「ナウい」、ださいの反対だが、これに代わる平成語がわからない。「いいね」はネット用語だし、「いけてる」あたりだろうか。
二位はアベック、フランス語のAVECからきているが、今なら「カップル」とでもよんだらいいのだろうか。
三位にきたのは、「あたり前田のクラッカー」、てなもんや三度笠のCMから灯がついて流行った。こうした地口は昔から随分あった。「冗談はよしこちゃん」にしても「余裕のよっちゃん」「アッと驚く為五郎」などみな地口のたぐいだ。
「よっこらしょういち」高齢化社会ではこれに代わる言葉をみなが欲しがっている言葉だろう。「どっこいしょ」では垢ぬけない。
「アッシー君」「めっしー君」も何処かへいなくなってしまった。リアップのお世話になっている初老のなかに埋もれてしまったのだろう。
ファッション用語の攻防は激しい。
「丸首」はラウンドネックに、「チョッキ」はベストに、「シミーズ」はキャミソールに、「ズロース」はショーツに変わった。
いわゆるパンツ・ファッションについて、列挙すると昭和のオジサン達にはほとんど理解不可能となる。
レギンス、トレンカ、カーゴ、スカンツ、テイパード、バギー、ガウチョ、リブ、ワイド、クロップド・パンツ、サロペット、フレア・パンツ、…等々キュロット辺りにきてオジサン達はようやく緊張から脱することができる。
科学の進歩とともに亡んだ昭和の言葉もある。
「チャンネルを回す」回していたテレビは博物館のなかにあるだけだ。「レンジでチン」も今だ生き残っているが、チンという音は無くなってしまった。
働き方大改編で「ハナキン」もなくなってしまったし、「スケバン」もグラドルがとってかわった。時代はどんどん変わり、「インド人もびっくり」しなくなったのだ。
「新人類」も「マブダチ」もみな消え去ってしまった。
昭和言葉の落日
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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