嵯峨平野屋の鮎たより

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嵯峨平野屋の鮎たより 嵯峨平野屋の鮎たより
 例年のごとく5月の半ば過ぎると、都の西、奥嵯峨鳥居本から送られてくる。
 十五段の可愛い小田原提灯である。しばらくの間伺っていないので、もう今年は来ないだろうと思っていると、律儀に送られてくる。提灯の腹には、嵯峨の赤鳥居と平野屋、平成二十九年、そして「鮎便り申し上げます」とある。今年も無事に鮎がきました。是非鮎を食べに嵯峨鳥居本の平野屋へお越しください。というメッセージが込められている。奥嵯峨の虫の音と水の流れを聞きながら、鮎の料理に舌鼓をうつと、ああ生きててよかった、あと何回この鮎の美味さに出会えることかとしみじみ思う。
 鮎の塩焼きには、あちこちで出会ってきた。
 長じて記憶にのこっているのは、宮崎高千穂峡の帰り道、五ヶ瀬川の河原で食べた鮎だった。天岩戸にお参りし、岩戸神楽に徹夜し、悠久の歴史と遊んだ後だったので、河原の鮎には殊のほかリアリティがあった。
 軽井沢の夏は千曲川の鮎宿が定番になっている。佐久大橋から上田、上山田のあたりまで鮎の簗場とともによしずの鮎宿が十数軒ある。ご贔屓なのは、上田の河原にある鯉西の鮎宿だ。すぐ目の前で、串に刺された鮎の数十匹が炭火に煽られて焼きあがるのはなんとも嬉しい。鮎飯もことのほか美味い。千曲川の川風と鮎の焼ける香りがディエットで襲ってくる。
 軽井沢の帰途、いつも立ち寄ったのは、高崎に近く碓氷川の鮎宿だった。少し苦みのある鮎の塩焼きはいくらでも食べられる。
 夏の庶民のご馳走は、京都も信州も鮎にとどめを刺す。
嵯峨平野屋の鮎は、千曲川の鮎にくらべれば格段に高い。いえばコスパに劣るということだが、芸妓さんといっても恥ずかしくなく充分に季節のぜいたくを味わえる。離れの座敷から三味線のさんざめきが聞こえることもある。古い廊下の傾いているのも趣きがある。
 祇園祭のあと、平野屋の鮎を楽しみに車を走らせるのは、老境の青春でもある。
 平野屋のご挨拶の提灯に思いを託して、夏の気分にひたっている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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