日本経済の死神・西室泰三は許せない

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日本経済の死神・西室泰三は許せない
 グローバル化に浮かれたひとりの男により、日本の経済はガタガタになっている。「日本経済の死神」とすらよばれている。あの東芝を倒産の危機に追い込み、いままた日本郵政もまた断崖にたたされているのだ。
 その名前は「西室泰三」慶應の経済出身だが、学生時代はバスケットにはまり、オリンピックにいくことだけを念仏の如く唱えていたという。ある面スポーツ馬鹿なのだが、若い時から名誉欲のかたまりで、肩書コレクターと揶揄されていた。
 西室泰三の一番の欠点は経済界の人間でありながら、事業内容にたいする見識や数値にたいして、盲目なところがあった。自信過剰で足元をよく見ず、山梨から東京にでてきたのだが、東京を通過していつもアメリカの表層を見ているような人間だった。
 原子力ルネッサンスの時代に遭遇するや、ウエスティング・ハウスというアメリカ一の原子力企業にのめり込み、隠されていた巨大な損失に気がつかず6200億を投じて買収した。もはや原子力の時代は過ぎ、この後始末をどうしたらいいか、と思案投首のアメリカ政府にとって、東芝社長の西室泰三はカモそのものだった。
 名門東芝は、そこからどんどん傷口をひろげ、とうとう今期の決算がたたず監査法人からも見放され、監査なしの決算見込みを発表せざるを得ないところまで追いつめられてしまった。名門東芝をダメにした男こそ、西室泰三というグローバル・マニアだったのだ。
 安倍晋三がなぜ西室に惚れたのかわからないが、優良企業日本郵政の社長に彼を擬したところから第二の悲劇は始まった。グローバル経済に浮かされていた彼の病気は、内需専門の日本郵政までもグローバルの泥沼に引っ張り込んだ。
 オーストラリアの物流会社トール・ホールディングに手をだしたのだ。郵政だけでは明日がない、これからは物流だとばかり、買収資金もないのに6200億で買収した。小さいもの軽いものを安く扱って利益を出してきた郵便と、重くて高いものを扱う物流ではまつたくビジネス・モデルが異なる。物流にたいするノウハウは、郵政には皆無だった。その上、西室泰三はトール社を日本郵便の子会社にしたため、トール社の抱えていた欠損を毎年200億ずつ償却しなければならず、たちまち日本郵便は赤字会社に転落した。日本郵便の決算はそれまでほぼ150億の黒字だったにもかかわらず、瞬く間に赤字転落。
 6月からの葉書値上げを始め、すべての郵便物の値上げは、すべて西室泰三というグローバル病にかかった老人のなせるわざだつたのだ。クロネコの値上げとは根本的に違う。
 東芝をダメにしたうえで、日本の郵便まで破局に追い込んだ「日本経済の死神西室泰三」は絶対に許せない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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