汗と歴史が映る造形美・浜野浦の棚田

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汗と歴史が映る造形美・浜野浦の棚田
 羽田から飛んで福岡の上空までは順調だった。
 なかなか降りないので、空港もゴールデン・ウィークかと勝手に想像していたが、あまりに長い。空港上空についてかれこれ60分が経った。低空に雷雲があり、危険を避けるため今しばらくお待ちください。相変わらずB777-300は福岡空港の上を周っている。こんなに長い待機状態では、ガソリンが無くなってしまうのではないか、本気で心配になってきた。
 その頃、下界の博多ドンタクは、急の雷雨で中止になったと、後で知った。
 なんとか西唐津行の地下鉄に乗り込んだ。唐津はいまでは焼き物のふるさと言っているが、かっては唐(中国大陸)への津(港)、大陸に最も近い国際港が唐津だった。途中、レトロな唐人町を通り日本三大松原の「虹の松原」を抜けて、ようやく唐津についた。
 9時に軽井沢を出て、唐津についたのは17時30分、実に8時間の旅程だった。
 
 日没は19時10分前後、唐津観光タクシーで玄海町の浜野浦へと急いだ。秀吉が晩年、朝鮮征伐をかけて城を構えた名護屋城に立ち寄る暇もなく、玄海町西の果て、浜野浦の棚田についた。
 棚田にはすでに300人ほどのアマチュアカメラマンが布陣し、四層に作られた観田台には三脚がぎっしりと並んでいた。
 棚田の向こうの玄界灘の正面に、太陽が沈むのはこの五月の一週しかない。棚田に水が張られ、鏡のような美しさに植えたばかりの苗が写し出され、モダンアートのごとき映像が浮かぶ、この数日の情景は棚田LOVEのカメラマンにとって、至上の被写体なのだ。
 玄海の農民の棚田と向かい合った汗と時間の長さが、目前に迫力のある風景として迫ってくる。
 荘厳な浜野浦の造形美を前に、安っぽく軽い「恋人たちの聖地」と記された標識がたっていた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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