福島の花見山に行ってきた。
花見山は10年程前に一度訪ねたことがあるが、今回は来年のパリ個展を想定しての撮影行だ。JR福島駅東口からタクシーをひろえば、15分ほどで着く。住宅地の辻辻にやたらユニフォームの交通監視人が立っている。
道中タクシーの運転手さんは、盛んにこぼして曰く、つい先日の日曜日は酷かった。煙草を吸うひまもなければ、トイレにいくひまもない。6万人のお客さんが押寄せたので、花どころではなかったという悲鳴に近いボヤキがつづいた。
花見山はいまはすっかり福島の顔になっているが、この山が名所になってまだわずかの時間しかたっていない。写真家の秋山庄太郎が晩年ここを訪れ「福島に桃源郷あり」と言い残したことから、観光地として注目されるようになった。
この公園は正しくは花木農家の阿部さんちの私有地なのだ。この谷間の農家は長い間養蚕農家として暮らしを営んできたが、戦後お蚕さんの没落とともに、花木の生産をする花木農家へと転換を図った。
花の谷間の阿部さんのおじいちゃんが、一念発起うちの山を花いっぱいにしようと志を立てたところから、今日福島の名勝が生まれた。そのため花見山には、茶店もなければ料亭もない。阿部さんのうちと記念切手をうる小さなポストハウスがあるのみだ。どこの観光地にもあるまずい蕎麦屋と弁当やは全く見当たらない。入り口のしたのほうににわかずくりの団子やがあるくらいだ。
山には遠く、ソメイヨシノ、トウカイサクラ、ヒガンサクラ、近くにレンギョウやハクモクレン、ハナモモなど咲き乱れ、素朴な田舎の名所として賑わっていた。30分コース、45分コース、60分コース、かっては見当たらなかった案内標識や、吟行の成果の俳句札などやたらぶらさがって少しばかり目障りであった。阿部さんちの裏には、立派な五匹の金の鯉のぼりが泳ぎ、中国からの観光客は盛んにシャッターをきっていた。今日の主題の撮影は雲に邪魔され快調とはいかなかったが、昼頃には顔をだしたお天道様で、無理やり撮影完了。
帰途お腹もすいたので何かと尋ねたところ、福島名物は「餃子に蕎麦」といわれ愕然、信州からきて蕎麦はないだろう、駅前の行列は餃子ときいて、ならば駅弁のほうがましと、エキナカSーPalの食彩杵で買い求めた「米沢牛特製Wダブル弁当」。汁漏れしてズボンに滲みをつくったが、その美味さ抜群、カルビとロースのダブルが福島行のよき思い出となった。
きけば東京駅祭のベストワン「牛肉どまんなか」と製造元が一緒とか、胃袋は納得した。
「福島に桃源郷あり」花見山
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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