サイバーエイジェントとテレビ朝日のプロジェクトで始まった「Abema TV」が早くも危機をむかえて居る。
両社とも「あばたに笑窪」のカン違いが原因である。
サイバーエイジェントの藤田晋はテレビ朝日の番組制作力と資金力に惚れた。テレビ朝日の早河洋は、地上波の行きつくところを予見し、ネット・ビジネスに魅力を感じていた。
両社とも惚れる理由を間違えていた。
地上波の没落は既成スタッフを支配する予定調和の意識こそが大敵だということが、理解されていなかった。
大量に投入されたテレビ朝日スタッフの編成スピードに、サイバーエイジェントの藤田社長は眼をみはった。
それがつまずきの第一歩、手際のいい編成制作のスピードにごまかされた。
ネットコンテンツにとって最大の敵は地上波の制作システムだということに気がつかなかった。地上波を支配している既成の価値観こそが、これからのネット放送にとって最大のばい菌だということについて、気楽に考えていたに違いない。
虎ノ門ニュースの成功は、従来地上波に敬遠されていた論客を揃えたことと、いままでのテレビを支配していた規制時間をとっぱらって自由に論じさせたことだ。日々のテーマについても、まったく規制のない横断縦断でとりあげコメンテーターの個性にすべてをまかした。道端の狭いスタジオ不満足を放置しても、多くの視聴者を獲得した。
Abema TVはいま無料放送から、課金制テレビへの変換を図っている。それではテレビ朝日の参入趣旨、ネット参入の意味がまったくなくなる。その上地上波の制作システムをばらまいて、足腰を弱くしただけだ。
地上波の恥をまき散らして終わりになる可能性がある。
テレビ朝日は既成の制作システムから一刻も早く抜け出すことで、初めて明日の水平線がみえてくる。
ネットも地上波も金の問題ではなく、コンテンツ次第だということに早く気がつかねばならない。
危機を迎えている Abema TV
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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