長い髪の女たち

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長い髪の女たち
 上流階級の女性が長い髪だつたことは、源氏物語の絵解きを見るまでもなくこの国の伝統だつた。
ずっと引きずって今でも女性の髪は長くなければならないと信じている人は結構いる。というわけで風俗のお風呂屋さんはみな髪が長い、長髪甘手であることは日本の男性を相手にしたとき絶対的な条件であるらしい。
 女の髪は長くなければならないという美意識は、男性ばかりか女性のなかにも多い。
 きものショーの演出をしていると、モデル達はほとんど長い髪の女性がやってくる。これはモデルクラブのマネージャー達の意識にも問題があり、キモノだから長い髪という固定観念があるのだ。きものだから長い髪という考え方は嫌いだったので、きものだけどショートかボブのモデルにして欲しい、とよくクラブともめた。長い髪をたらしたままでは鬱陶しい。いちいち結い上げなければならない。
 ショートやボブに、きものを着せた方がモダンになり、現代的になる。髪を切って欲しいとオーダーすると、泣きわめいて抵抗するモデルもいた。
 モデルに限らず、女優にもそうした意識の女性たちはいる。
 仲間由紀恵、綾瀬はるか、指原莉乃などは、刑事役でも長髪直毛で登場しそうだ。後から見ると、腰近くまで黒髪で、その下に短い脚では、パリジャンが気味わるがるのも無理はない。長髪の女達にはバランス感覚のない
女性は多い。
 日本髪が主流だった時代、髪をきって颯爽と登場したモガたちは、勇気ある女性だった。オカッパで自己主張したので、髪の短い女は気が強い女として、世の男たちは驚いて避けた。古い男たちは優しさを信じて長い髪の女になついていった。しかし髪の長い女達も結構自己主張は強い。
 要はショートでも、ボブでも、ロングでも、女性はみな気が強いということなのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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