トランプ大統領から安倍さんは、アメ車を買え、アメ車を売ってくれ、とかなり強硬に言われたと伝えられる。が日本では外車といえばドイツ車が圧倒的人気で、その筋の方から大病院の院長先生までメルセデスに乗っている。昨年の輸入外車ランキングでも、一位がベンツ、二位BMW、欧州車がずらりと並び、アメ車はフォードの15位がやっとという現状なのだ。
アメ車は大きい、アメ車は燃費が悪い、アメ車はすぐ壊れる、といった昔から確立した都市伝説を打ち破るのはかなり困難だ。それでも無駄に大きくて、かっこいいからアメ車だという人は、親不孝者か自称ロッカーにはいる。
思えば一面焼け野原になった東京を、埃を上げて走っていたのはアメ車だけだった。多くは兵隊たちの乗るタフでごついジープだったが、たまに駆け抜けていくシボレーを眼にすると軍のなかのエリート、高級将校がふんぞり返っている姿を想像した。どうしてもキャデラックを見たいという自動車狂は、お濠のまえの連合軍総司令部、接収された第一生命ビルの周りをうろついてようやく遭遇した、あれは将軍に違いないと翌朝自慢げに吹聴していた。
スカイブルーと白のツートンに塗り分けられたシボレーに遭遇すると、そこにハリウッドやニューヨークの摩天楼がダブった。日々の食に追われていた日本人にとって、アメ車は思い届かない文明のシンボルだった。
それがいつの間にか厄病神のように言われ、誰も買わなくなったのは、時代の趨勢を読み違えたシカゴの自動車メーカーの人々ではなかったか。今のアメ車は燃費もよくなり、車体もコンパクトになっているのだが、堅牢度や取り回しの面でユーザーのライフスタイルに心を尽くさない、いいから買えという姿勢では日本人は買わない。
アメ車は何故売れない
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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