鈴木清順・耽美で儚くて

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鈴木清順・耽美で儚くて
   三度びお会いして  四度目の逢瀬は恋になります。
    死なねばなりません。
       それでもお会いしたいと思うのです。……
  泉鏡花の同名小説「陽炎座」は鈴木清順監督の絢爛たる映画術が頂点を極めた代表作である。
 監督は多くの作品をとったが、「ツィゴイネルワイゼン」そして「陽炎座」「夢二」の三部作こそが
 世界の映画史への遺言だったように思う。
  艶っぽく、耽美で、儚くて、戯れた 男と女の抜き差しならない狂気と息ずかいを、スズキ・ワールド
 にしかない美意識と豊穣な色彩のなかで展開した。
  ウォン・カーウァイ、ジム・ジャームッシュ、デミアン・チャゼル いま映画を語るには欠かせない
 世界の監督たちが、口を揃えて鈴木清順監督から芸術的啓示を得たと語っている。
  筆者の作品づくりの師匠も市川 崑監督と鈴木清順監督だった。オペラの脚本づくりにも、鈴木清順の
 ドラマツルギーから多くを学び、色彩構成には多くの暗示をえた。
  彼は黒沢明の描くダイナミックでヒロイックな人間像にまったく興味がない。
  小津安二郎のような枯れた人生や家族にも興味はもたない。
  ただひとつこだわるのは鈴木清順の美意識とその世界だけ。
 死生を彷徨った戦争体験から、絶望的な色彩対比が生まれたのではなかろうか。
 どんなに悲しく哀愁漂う画面も、絢爛豪華にして派手でなければならない、というのが鈴木清順の
 美学だった。                                合掌


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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