歌舞伎座の金切り声

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歌舞伎座の金切り声
 「開場まで後10分程でーす!」
 「列に並んで、はみ出さないようにして下さーい!」
 「ほら、そこの人、歩道にはみださない! 」「列をまもってくださーい!」
 「間もなく開場になりまーす! 観覧券は各自一枚ずつ持って下さーい!」
 「観覧券は封筒から出して、切符のみをお持ちくださーい!」
 歌舞伎座の入場前、玄関のまえで開場をまつ人々の群れに、金切り声が襲い掛かる。
 金切り声の主は、松竹歌舞伎座の社員のようだ。
 若い男性なのだが、妙に音域が高くヒステリックに聞こえる。
 繰り返し繰り返し、開場を待つ観客に向って叫ぶ。
 本人は何百人もたまった観客に、繰り返し警告を発することに酔っているようにも見える。
 芝居を観に来たまともな観客は、劇場に入る前の金切り声でうんざりする。
 「はーい開場しました。どんどん前に進んでくださーい! はい、立ち止まらないで前に進んで下さーい」
 ここには日本一の劇場の雰囲気はない。スーパーの大売出しか、サッカーの競技場前と変わらない。
 歌舞伎座の社員に劇場の意味を説明するのもシャカに説法だが、こんなにひどいとは思わなかった。
 正面の大垂幕には、「江戸歌舞伎三百九十年猿若祭大歌舞伎」とあるが、江戸の芝居小屋の賑わいは、
 貧民の特売デーと化していた。テレビ宣伝で来た客の質の悪さを嘆く人もいた。
 世界中の劇場を探してもこんなに騒々しい劇場はない。
 どこの国へ行っても粛々と観客は入っていく。
 文化という名の出し物と対面する場、それが劇場の筈だが。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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