喜歌劇「こうもり」の真実

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喜歌劇「こうもり」の真実
 ウィーン国立歌劇場の大晦日は、恒例のオペレッタ「こうもり」が上演される。 そして年が明けると、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の御存じニューイヤーコンサートである。
 あの誇り高い国立歌劇場がこの「こうもり」に関してのみ上演するようになったのには、第二幕の仮面舞踏会が大晦日であるにせよ「こうもり」を喜歌劇最高の作品と認めたからに他ならない。
 「オーストリアよ、結婚せよ! 戦いは他国にまかせ、オーストリアは結婚せよ!」と揶揄されるオーストリアのハプスブルグ王朝は、周辺の王朝と婚姻を繰り返すことによって、領土を手に入れ勢力を拡大してきた。当時のハプスブルグ家は、姫たちを道具に狡猾かつ巧みに周辺諸国を篭絡してきた。ヨーロッパの王室が他国の王室とやたら姻戚関係にあるのは、ハプスブルグ家のそうした考え方が今に及んでいると言われている。
 戦国時代の大名たちが娘の婚姻を利用して勢力を競い合ったのと全く瓜二つなのだ。
 このオペレッタ「こうもり」はそうした当時の王政をカリカチュアし、笑いのなかに歴史にたいするアイロニーを散りばめた傑作と言われている。
 すべてはフォルケの仕組んだ芝居という落ちも、ハプスブルグの家紋となっている鷲に対して、鷹の家紋のフォルケをもってきてパロディ化し、ドイツのビスマルクに僅か7週間で敗れた悔しさは、金持ちの銀行家アイゼンシュタインに擬して憂さをはらしている。その妻ロザリンデをハンガリーの貴婦人としたところも、ドイツに敗れオーストリア・ハンガリー二重帝国でしのいだ悔しさのあらわれなのだ。
 つまり近世ヨーロッパの狸御殿が「こうもり」そのものといえよう。
 軽井沢でこの「こうもり」が町民オペラとして上演された。大畑晃利君の脚本・演出・舞台監督・制作という大情熱の賜物だ。
 皆それぞれに楽しくやっていたが、喜劇的表現と悪ふざけは異なる、という苦言だけは呈しておく。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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