女子学生の就活にプチ整形

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女子学生の就活にプチ整形
 テレビ局を辞めたのち、演出事務所は本業だったが、グループにはCMの制作プロダクション、ふたつのモデル・クラブをもっていたことがある。
 演出事務所はテレビ番組の制作、オペラ、ミュージカル、演劇の演出からファッション・ショーの制作までなんでもやった。たまにモデルクラブの女子が飛び込んできて、整形したいからどこか知らないか、という相談もあった。
 そうなると自身判断が付きかねるので、学生時代の仲間であった新橋十仁病院の梅沢文彦君に電話を回した。あの頃の十仁病院は美容整形の本家のような立場で、美しく変身した話題の女優の顔には、必ずといっていいほど十仁病院梅沢博士の所見がついていた。
 彼に電話をすると、第一声は「その女の子、整形をあきらめさせることはできないの?」と返ってきた。世間ではいろいろと噂がたっていたが、施術はあまりしたくない、美容整形は勧められないという彼の姿勢に、整形医師としての良心を感じ、信頼してモデルたちを紹介した。
 このところ疎遠にしているが、美容整形の話題がでるといつも梅沢文彦博士のことを思い出す。
 いま大学三年を迎えた女子学生のあいだでは、ひそかにプチ整形が流行っているという記事に接した。就職に見た目は関係なく、誠実に真面目に働いてくれる女子学生を当社は期待してます、と言いつつ最終面接は見た目が100で、ブスは不利ということを学生たちは知っていて、黙ってプチ整形に行くと記事は書かれている。
 就活を始める三年生の正月がプチ整形のトップシーズン、春にはみなどことなく美しく変身している。埋没法とやらで10万円前後という就活整形が、顔採用の就職突破に重要な手段となっている。
 お隣韓国の整形ブームを笑っていたが、どうやら日本もそのレベルに近ずいているらしい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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