小池百合子の抱きつき作戦

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小池百合子の抱きつき作戦
 今や進むところ敵なし、小池百合子東京都知事のお話しである。
 回転すしとも、抱きつきの達人とも呼ばれているが、判りやすい構図で敵を仕立てて挑むテクニックは抜群なのだ。
 千代田区長選挙では、丸川珠代五輪相や石原伸晃経済再生大臣に恥をかかせ、軽いジャブで一蹴した。東京における小池教は絶対的なカードであることをみせつけた。悪玉を仕立て自分を演出するのは、師匠の小泉純一郎元総理譲りの幼稚な演出だが、それこそが小池旋風の原動力になっている。
 都自民党の最高顧問ギョロメの内田を悪のシンボルに仕立て、与謝野馨の甥とやらを、内田イコールの悪玉に想定して選挙に望んだ技術はなかなかのもの、バイリンガル外資勤めのお坊ちゃんでは全く歯がたたなかった。
 ワイドショーの司会者から、細川護熙に抱きつき、小沢一郎に抱きつき、小泉純一郎に抱きついて政界を渡ってきた彼女にとって、森喜朗や石原慎太郎は対立軸つくりの絶好の餌だ。
 一方小池知事の抱きつき作戦は思わぬところで展開していた。
 私立高校授業料無償化、公共施設トイレの洋式化、保育士の待遇改善、これら公明党のスローガンをそっくり丸呑みし、予算に計上した。抱きつかれた公明党にとってもこんなに嬉しいことはない。自分たちの主張が100パーセント取り入れられたのだから、もはや友党どころか与党にならなければならない。
 千代田区長選で惨敗した都自民党も小池印と対立していては自分たちの足元が揺らぎだした、とばかり都知事へ抱きつくにはどうしたらいいかと舵をきった。このまま都民ファーストに盾ついてもいいことはなにもない。
小池回転すしの先取りをしない限り、抱きつけないのだ。このさい石原慎太郎も喚問しよう。
 対権力のジャンヌダルクは、いま権力者の座に就こうとしている小池百合子自身となって、踊らされた都民が馬鹿を見ないことを祈るばかりだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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