アメリカの原発ビジネスに騙された東芝

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アメリカの原発ビジネスに騙された東芝
 名門東芝が倒産の危機を迎えている。
 そんな馬鹿なとおもうひともいるかと思うが、まず自力では再生不能な状態に陥った。原因は、簡単にいえばアメリカの原子力ビジネスに嵌められた。巨大な赤字を抱えながら、隠し通して東芝に身売りしたウェスティング・ハウスの術中にはまってしまったのだ。
 福島の事故をみて、もはや原子力の時代はさったと判断したアメリカの原子力企業は、東南アジアにおける原発受注を餌に、たくみに東芝と通産に企業買収を持ち掛けた。
 ここで頑張れば名実ともに世界一の原発企業になれるとふんだ東芝は手を出してしまった。
 開けてびっくり1600億の巨大赤字をかかえていた。東芝は虎の子の医療部門東芝メディカルをキャノンに売ってなんとか辻褄をあわせたが、さらに驚いたことに原発の工事をする子会社が7000億近い損失を抱えていたのだ。
 安倍さんもアメリカ政府も原発事業は、国家プロジェクトだからと言っていたが、みんな次々と撤退して閉店寸前、フランスの準国営アレバァ社も欠陥部品問題で、もはや閉店準備とは知らなかった。
 経営判断が間違ったとはいえ、東芝はアメリカの原発事業の負債をまるごと引き受けたかたちとなった。
 医療もうり、家電もうり、稼ぎ頭の半導体も売らなければならなくなった東芝。稼ぐ部門を全部売ってもまだまにあわないかもしれない。
 からくり儀右衛門以来、ニホン初めての蒸気機関車、蒸気船を作り、戦後は電気窯、洗濯機、そしてワープロなど、つぎつぎと精密電気部門のメーカーとして日本の牽引車だった東芝も、ついにここへきて活きずマッてしまった。三井グループの名門企業としてこの国の産業を担ってきた東芝がついに落日を迎えた。
 原発事業は兆円ビジネスと呼ばれ、儲けも大きいかわりに欠損も桁違いに大きい。アメリカの口車と通産省官僚の言い分にすっかり安心して投資した東芝役員は、「原子力は大博打だ」ということを知らなかったのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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