タレントいらずの京の節分

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タレントいらずの京の節分
 季節の分け目である節分も無事終わって、いよいよ立春大吉になる。
 嵐山の吉兆さんからは、旧暦のお正月、いまごろに先代の「立春大吉」の揮毫とともにお年賀が送られてくる。関東の節分は、お寺、神社とコンビニ、そして芸能人のための節分になってしまった。大河ドラマとお笑いの豆まきが圧倒的に多いが、ことしは久しぶりの日本人横綱誕生でお相撲さんの人気に沸いた。稀勢の里は豆まきの掛け持ちでご苦労様なこと。ピコ太郎はどこで豆を撒いていたのかしらない。
 京都の節分にはタレントはいらない。
 オカメの鬼がでる蘆山寺の豆まき。四ッ眼の法相師が登場する吉田神社。壬生寺では無言劇壬生狂言のガンデンデンが奉納される。どこまでもタレント祭りではなく、「節分厄除大法会」なのだ。
 鬼をいじめるのは、豆ばかりではない。コスプレで鬼を驚かせ、除災する習わしもある。昔は町衆がやっていたのが廃れ、いまでは花街にしか残っていない。
 祇園甲部の追儺行事「お化け」である。いつものオシロイ・ダラリの帯ではないので、お化けと呼ばれるようになった。鬼はオバケに出逢ってびっくりして退散する。
 今年祇園にでた「お化け」を辿ってみよう。
 可愛らしく「舌切り雀」は有佳子・槇子、「千姫」は小扇、「越後獅子」はつる葉・紗矢佳、「三人吉三」は千紗子・亜矢子・千余子、「戻り橋」は小菊・美帆子、「風神雷神」は福葉・まめ弥、そして堂々の「本日処女」は脱いで「ピコ太郎」に変わった小喜美さん、このほかゲリラ風に現れた東映づくりのオバケがいたようだ。
 この時ばかりは普段の井上流にこだわらず、花柳でも尾上でも自由に無礼講が許される。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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